「 二・二六事件 」 一覧

二・二六事件の安藤輝三大尉に発布された大赦

二・二六事件の真実 二・二六事件とは1936年(昭和11年)2月26日から29日にかけて発生したクーデター未遂事件です。陸軍皇道派の青年将校が1483名の下士官・兵を率いて「昭和維新」を断行して国家改 …

令和の改新のすゝめ

1.日本の改新と凋落 日本の歴史では、社会状況の変化とともに、改革、復興、凋落は繰り返されてきました。改新は遠く遡れば大化の改新(645年)であり、近くに例をとると明治維新であり、戦後の改革でした。令 …

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ お わ り に

岐阜揖斐における第三回「戦前・戦後史人権フォーラム」開催に際し、二・二六事件青年将校安藤輝三の甥として何か話をするように井澤氏から伝えられた。私は歴史や二・二六事件研究者ではないが、むしろ一般人として …

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ 第8章「現代へのメッセージ」

二・二六事件が歴史に中に風化しようとしている中、多くの犠牲を払って到達した国民主権、人権、平和主義という価値が進展するのでなく、「自虐的歴史観」を是正するとの観点から、歴史改竄(修正)主義が横溢し、狭 …

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ 第7章「秩父宮と安藤輝三大尉」

秩父宮と安藤輝三大尉の絆 私が中学生の頃であったろうか、父が何かを思い、隣の祖母の家にしまってある安藤輝三と秩父の宮殿下にかかわる遺品をすべて破棄した。 記憶としては、宮から拝受した乗馬の鞍、スキー用 …

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ 第6章「明治日本で成立した国家体制とその欠陥」

 二・二六事件は1936年(昭和11年)2月26日未明、陸軍内の皇道派の影響を受けた青年将校ら1400人余りの部隊が社会改革を目指し重臣を襲撃し、殺害したクーデターである。その遠因としては、明治日本で …

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ 第5章「統制派の陰謀と戦線拡大・敗戦」

 統制派のグループは目的達成のために執拗・緻密なる謀議を重ねて邪魔者を排除した。軍事独裁による総力戦にあこがれた永田鉄山を中心とする統制派は昭和8年には百ページに渡る『戦争指導計画書』を秘密理に作成し …

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ 第4章「日本社会改革の5つの選択」

 昭和初期の日本においては、軍の陸大出身の幕僚のグループ中心の統制派と隊附将校を多く抱える皇道派、さらにコミュニストは社会を大改革しなければいけないという認識では同じであった。手段とする国家体制も類似 …

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ 第3章「昭和前期における国民の窮状と権力者の腐敗」

 二・二六事件が起きた頃の国民の窮状、権力者の腐敗と堕落は蹶起青年将校以外でも、誰しもが指摘するところであった。  自然災害、世界恐慌、満州事変に反発する日本製品のボイコットなどにより、日本国民の生活 …

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ 第2章「歪められる近現代史」

隠された戦争責任 二・二六事件勃発より八十有余年経過し、昭和が終わり、平成が終わろうとして、事件関係者や遺族は亡くなり、記憶の彼方に事件が埋没しようとしている。   しかし、二・二六事件は単なる事件に …

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ 第1章「青年将校 安藤輝三大尉と岐阜」

「大義を明にし、人心を正さば、皇道あへて興起せざるを憂へん」(藤田東湖) 安藤氏は西美濃三人衆(稲葉、氏家、安藤)の一つで、安藤守就はもともと土岐氏に仕えていたが、信長の天下統一に貢献した。1580年 …

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ 「はじめに」

不思議な縁 人の縁とは不思議なもので、私が慶応大学経済学部に入学して最初に親友になったのが山田哲司君であった。何故か理由はわからぬが引かれるものがあった。やがて判明したことは、彼が小学校4年のときに「 …

サイト内の検索

直近のコラム・お知らせ

最近のやりとり

    過去のコラム・お知らせ