「日本を取り戻す」は安倍首相の標語ですが、どの時代に日本を取り戻すかが問題です。安倍首相の様に「戦前回帰」なのか、それとも、本来日本人が持っている美質に気付き本来のそれを取り戻すのか。
日本は古来より、「倭」の国ともいわれた。倭とは「従順なさま」、「つつしむさま」という意味もあり、のちに「和」と記された。国の運命の分かれ道にはその国民の本質が表れます。
例えば、「出雲の国譲り」は、諸説があるにしても、「平和裡」の内に行われています。
更に、「江戸城無血開城」は、勝海舟と西郷隆盛の大英断によりなされたものです。いずれも大戦争が生じてもやむを得ない情勢でした。それを止めたのは日本人の叡智です。
第二次世界大戦のときには「狂気の時代」ありましたが、左翼作家の高見順は、終戦直後、焼け野原の東京で帰省列車の長蛇の列を、人々が争うこともなく粛々と順番を待っている姿を見て、「この国に生まれてよかったと思った」と述べています。神戸の震災の時、皆が並んでいる人を気づかいながら、連絡の為の公衆電話を手短に終えた。2011年の東日本の大震災で、日本人がパニックになることもなく、お互いに協力やボランティアする姿に世界が感動した。また、このときに私たちが思い起こした「日本の美質」が「絆」という概念だ。
一部の例外的な時代を除き、日本人の庶民の間には、「和」という概念が根付いているように私は思います。
仏教の根本概念も同様の基盤であると思います。仏教では共生が大切な概念であり、それは「智慧」と「慈愛」からなると聞いています。今、戦争大好きな保守右派と抱きついている公明党の諸氏、池田大作の「新・人間革命」にある[平和憲法を有する日本の使命]に関する一節を紹介したい。「第9条に込められた、戦争の根絶という人類の悲願の実現に、彼は生涯を捧げてゆくことを決意していた。それがとりもなおさず仏法者の使命であるからだ」。(第12巻天舞の章より)
「平和」は「共生」の一形態であり、「共栄」と「互恵」とも同じであり、周囲と調和すること、環境に配慮ことと同義です。「共生」の概念は日本人の心に深く根付くものです。
「日本を取り戻す」ということは、「平和主義」や「一人ひとりが輝ける」社会を作ることです。
憲法を自民党案に沿って変えることが、どの様な危険と災いを日本にもたらすか多くの人に理解されていないのは誠に残念です。ヒットラーの手法をその通り踏襲して、一歩一歩監視の無い、権力の集中を進めています。
2017年10月11日
安藤 徳彰