ヴァイツゼッガー西ドイツ大統領の演説:ドイツ敗戦から40年
過去を心に刻む
8月15日は終戦記念日である。日本は戦後70年経過しても、「過去の克服」をしていないと海外から思われている。今年の8月15日には日本国民はどの様な気持ちで臨むのであろうか。
平和憲法の実質的な放棄の可能性も目前に迫っている。
戦争の受け止め方、その後の在り方に関して、日本とドイツでは対照的である。ドイツの対応は、今日の欧州共同体やメリケル首相の政策を理解する上で不可欠だ。
共産主義の脅威によって、米国の方針が変わり、日本では戦前の多くの人材、戦犯がそのまま復権し、天皇や国歌ですら継承された結果、戦争責任についても曖昧となり、忘れ去られようとしている。戦後70年もすると、「戦前回帰趣味」が勢力を得て、人権を侵害する各種の法整備に加え、平和憲法そのものが毀損されようとしている。
ドイツの敗戦から四十年目の終戦記念日での西ドイツのヴァイツゼッガー大統領が国会で行った演説は、多くの人の心を打ち、影響を与えた。
ことに、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」という箇所が、いまだに日本でも時折引用される。また、過去を「心に刻む」というキーワードは「覚えている」、「忘れないでいる」というより、しっかりと過去の出来事を内面化するということである。
ここに、ヴァイツゼッガー大統領の演説の一部を抜粋してみよう。
「われわれにとっての五月八日は、何よりもまず人々が嘗めた辛酸を心に刻む日であり、同時にわれわれの歴史の歩みに思いをこらす日でもあります。この日を記念するにさいして誠実であればあるほど、よりこだわりなくこの日のもたらしたもろもの帰結に責任をとれるのであります。」、「大抵のドイツ人は自らの国の大義のために戦い、耐え忍んだと信じておりました。ところが、一切が無駄であったのみならず、犯罪的な指導者たちの非人間的な目的のためであった、ということが明らかになったのであります。」、「しかし日一日と過ぎていくにつれ、五月八日が開放の日であることがはっきりしてまいりました。….国家社会の暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります。」、「解放であったといっても、五月八日になってから多くの人々の辛酸が始まり、…故郷を追われて、隷属に陥った原因は、戦いが終わったところにあるのではありません(拍手)。戦いが始まったところに、戦いへと通じていったあの暴力的支配が開始されたところにこそ、その原因はあるのです。」、「五月八日は心に刻むための日であります。こころに刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためにはわれわれが真実を求めることが大いに必要とされています。」、「先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去にたいする責任を負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜかくも重用であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わなくてはなりません。また助け合えるのであります。」、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。ユダヤの民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしには和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。」、「もし、われわれ側が、かって起こったことを心に刻む代りに忘れ去ろうとするようなことがあるならば、和解の目を摘みとってしまうことになるでありましょう。われわれ自身の内面に、智と情の記念碑が必要であります。」、「災いへの道の推進力はヒットラーでした。彼は大衆に狂気を生み出し、これを利用しました。ヒットラーはヨーロッパの支配を望みました。…ヒットラーはドイツ軍の将官を前に次のように言明しております。―われわれの関心は東方における生存圏の拡大であり食料の確保であるー…1939年8月23日、独ソ不可侵条約が締結されました。…この条約は、ヒットラーのポーランド進行を可能にするために結ばれたのです。…独ソ条約がヒットラーの進攻、そして、第二次大戦を意味していることは、政治について考えている当時の人間なら誰もが知っていることでした。…われわれ自身が自らの戦いの犠牲となる前に、先ず他の諸民族がドイツを発火点とする戦いの犠牲となっていったのであります。」、「かって敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たなくてはならなかったか、このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。」、「ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信が次第に深まっていく必要がありました。」、「武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれをまもりつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。」、「…われわれの憲法の第一条に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。ドイツ国民は、それ故に、世界に於ける各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ譲渡しえない人権を認める。五月八日が持つこの意味ついても今日心に刻む必要があります。」、「人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むならば、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人々に門戸を閉ざすことはないでありましょう。(拍手)」、「独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するならば、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自信に厳しい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。」、「心に刻みつづけるということが極めて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるように手助けせねばならないのです。…人間は何をしかねないのかーこれをわれわれは自らの歴史から学びます。」、「若い人にお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることがないようにしていただきたい。」、「若い人たちは、互いに敵対するのではなく、」たがいに手を取り合って生きていくことを学んでいただきたい。民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして、範を示してほしい。」
上記がドイツ敗戦から40年の終戦記念日5月8日に行われたヴァイツゼッガー西ドイツ大統領の演説の抜粋である。
日本は大戦によって迷惑をかけた国々の国民とまだ和解していない。中国も韓国も身近な体験は心に刻んで覚えている。これは、国防上も大変危険である。たとえば、尖閣諸島を中国が実行支配したとしても、今までにされてきたことの万分の一お返しに過ぎないかもしれない。
それぞれの国民は、自分たちがされたことを心に刻んでいる。1985年イラン・イラク戦争のときにトルコ航空機が戦火の中、自国民より優先して日本人を救出したが、百年前、和歌山県沖で台風で座礁したトルコの軍艦エルトゥールル号の乗組員の生存者を日本の漁村の人々が治療、看護し、日本政府はイスタンブールまで送り届けたことを、トルコ人が心に刻んでいたからである。逆のこともあり得る。日本から被害を受けた国々の国民は、日本への恨みを忘れない。それが将国防上のどの局面で出てくるかはわからないが。
憲法を改正し、国防軍を創設し、軍備を拡張しても、それだけでは危険を増すだけである。日本の真の防御力は「平和主義」であり、その実現に向けて、国家・国民が邁進することである。中国や韓国の知人と話をするとき、「戦争を反省できない日本を尊敬できない」と言い放つ。アメリカで友人になった中国系フィリッピン人は、「実は俺の叔父は日本軍に惨殺されたと冷たい表情で言う。
日本の若い人々は近現代史を知らない。無関心な若者と、安易な戦前回帰趣味、これが現実だ。危惧を覚える。
日本が世界で尊敬されるには、歴史として起こった真実を国民は理解し、国民一人一人が謝罪の気持ちを持ち、世界の平和と発展のために尽力することから始まる。今年の8月15日を境に、日本は国家の在り方に関して、もう一度生まれ変わるべきである。どちらに生まれ変わるのか、国民の大きな選択の問題だ。
「共生」が民進党のベースにある価値観ならば、「平和主義」こそ共生であり、「環境」も「人権」も共生の一表現である。これらは国民を巻き込んだ運動にすべきで、自民党に対する対抗軸として明確に打ち出すべきである。
憲法問題を契機に、もう一度新しい日本の在り方を明確にする好機である。自民党に対抗する第一野党は、中国・韓国に関して新しい外交を取るべきで、歴史認識の問題に関しても真実を再確認し、中国・韓国と和解すべく、取り組まなくてはならない。
「国家観」は大切である。小池百合子に人気があるからといって、民進党の議員が小池百合子に呑み込まれることがあってはならない。小池百合子の国家観は自民党そのものであるからだ。民進等から「国民ファースト」に鞍替えする議員がいるとすれば、それは選挙のみを考える政治屋である。明確な選択肢を打ち出せば、「求心力」となれる。国民は選択肢が欲しいのだ。
2017年7月30日
安藤 徳彰