「過去を記憶できない人間は、罰としてそれを繰り返す」
― 哲学者 G. サンタヤナ
安倍首相が「日本を取り戻す」と標榜してから久しい。何を取り戻すか不明であったが、どうやら戦前回帰趣味の様だ。人権を侵害する各種法案や戦争をやり易いようにする安保法案(安全保障関連法案)の後は、本丸の憲法9条まで変更する予定だ。戦後70年の間、日本人は何を考えていたのか。
その人の思考や価値観を決める上で、どの様な一族であるかは重要なファクターである。安倍晋三の祖父は岸信介であり、戦前満州で活躍し、「満州の三スケ」といわれた人物だ。鮎川義介、岸信介、松岡洋右(ようすけ)の三人である。松岡洋右は、外務大臣として日本を亡国に導いた「日ソ中立条約」推進の立役者であった。この三スケは何れも山口県周防地方の生まれ、育ちで姻戚関係にもある。岸は満州で活躍の後に東条内閣の商工大臣となった。岸らの満州人脈は、東条内閣のものの考えに直接的な影響を与えた。岸の開戦責任は重いのにA級戦犯として起訴されなかったのは不思議といわれている。A級戦犯被疑者として巣鴨拘置所に収監されていたとき、「このみいくさの正しさを来世まで語り残さむ」との決意で臨んだ。岸信介は飽くまで「大東亞戦争」は「聖戦」であるとの考えだ。孫の安倍晋三も無意識のうちにも影響されているものと思われる。ヒットラーも大戦を聖戦としてとらえていた。
ところが、状況が変わり、米国に取って「共産主義の脅威」が差し迫った。国内統治のため、天皇は国民の象徴として残され、防共のために米国(CIA)に支えられて一部の政治家は起訴を免れ、表舞台に出てくる。1952年のサンフランシスコ講和条約発効を機に岸は公職追放を解除され復権していく。岸は翌年1952年、「自主憲法制定」、「自主軍備確立」、「自主外交展開」をスローガンに掲げた日本再建連盟を設立した。岸は「民族の魂が表現された憲法」を作って自主防衛すべきであるとの信念があった。「民族の魂」とは何であろうか。岸の盟友吉田茂は日本国憲法の草案が、「天皇は日本国の象徴である…」と記されているのを知り、何時間も号泣したという。当時の日本人の精神状態はそんなものだった。新憲法に関して日本政府側が提出した憲法案は明治憲法とほぼ変わらず、マッカーサーを激怒させたといわれている。
ドイツに対比して、戦前の人材が禊をすることなく、復帰したことにより、大戦の反省をせずに今日に至っている。反省や真実の追究は「自虐的歴史観」として、ひんしゅくを買うありさまだ。
安倍首相は平和安全法制(戦争法)によって憲法の解釈を大幅に歪めたが、今度は憲法9条そのもの変えようにしている。これにより、平和憲法は全く「有名無実」になるものと懸念される。国防費も増えていくだろう。安倍首相の標榜する「日本を取り戻す」とは戦前回帰であり、国家権力の増大と国民主権の侵害であり、平和主義の放棄としか思えない。安倍首相は、「経済再生」で国民に期待を抱かせ選挙に勝ち、実績は国民の権利を侵害し、平和主義を放棄する変更である。経済においては借金を巨額化するのみで、その付けを未来の若い世代と年金生活の将来の老人に回している。原因は友好な成長戦略が存在しないからで、未来に対するビジョンがないからだ。
憲法の前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とあり、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存権を保持しようと決意した。」、「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、…この法則にしたがうことは各国の責務であると信ずる。」、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と結ぶ。
つまり、悲惨な戦争を起こした日本は、「平和主義」を世界に広めることが「贖罪」であり、そのためにこの憲法を持つに至った。平和主義を広めることによって初めて世界に許され、やがて尊敬されるのだ。日本はこの「贖罪」を行っておらず、政治家が靖国神社に行って「英霊」に感謝することしか行っていない。大戦の被害者であった他国民と真の和解をしていないのだ。
ドイツでは、連合軍を「我々をナチスから解放してくれた」との立場をとり、メルケル首相もロシアの戦勝記念パレードに出席している。日本ではどうだ。
中国や韓国との真の和解がない場合は、日本に真の国防は成り立たない。
話が長くなるので、この続きは次回とする。
2017年7月20日
安藤 徳彰