健康法師からの便り

日本経済に対する私の懸念(2/2)

投稿日:2018年8月31日 更新日:

今回のコラムでは、前半に民泊の現状と民泊新法について触れました。続いて第2部では、他のシェアリングエコノミーとこのままでは日本の経済戦略が頓挫するであろう理由、日本経済に対する健康法師こと安藤徳彰が考える懸念について引き続き述べていきます。(第1部はこちらから)

本コラムの構成

第1部

1. シェアリングエコノミー

2. 民泊の現状

3. 民泊法の問題点

4. 民泊新法(2018年6月施行)

第2部(当ページ)

5. ライドシェア

6. 世界の変化の兆しと日本の躓き:

7. 国家戦略の無い日本

8. 時系列的整理と日本固有の成長阻害ファクター


 

5. ライドシェア

ここではライドシェアについて述べるのは簡単にしておく。
ヨーロッパ旅行をすると、旅行業者が手配した移動車が、普通の家庭の主婦が運転する車だったりする。高級車で、運転手は上品な夫人だったりする。ちょっとした小遣い稼ぎだそうだ。規制の多い日本ではこの様には行かない。日本では規制とは、既存の業界を守るためにあり、新しい業態の参入を妨害する。先日、ソフトバンクの孫正義会長は都内で講演し「未来の進化を自分で止めているという危機的な状況だ。そんなばかな国があることが信じられない」と述べ、政府によるライドシェアの規制を強く批判した。ソフトバンクは中国の配車サービス大手滴滴出行と合弁会社を設立、他方、中国国有大手自動社会社3社はシェアリングエコノミーなどの分野で包括的な戦略提携、動きが活発だ。ライドシェアをきっかけとして情報集積とノウハウを積み重ねて、ビッグビジネスを構築しようとしている。滴滴はさらにトヨタも参加する企業連合を立ち上げ、電気自動社の開発・製造と滴滴のサービスを広げようと計画している。ここでも、政権は改革の支援者ではなく、抵抗勢力である。

 

シェアリングエコノミーについて思うところを述べたが、何故日本が成長戦略によりよ甦ることができないのか、整理をしてみたいと思う。

6.世界の変化の兆しと日本の躓き:

アルビン・トフラーが1980年に『第三の波』を著してから、情報革命の進捗は急速で、1990年ごろから世界は情報革命を駆動力にして新秩序を構築し始めた。この様な激動のときこそ本来は経済躍進のチャンスであり、国家戦略・改革の優劣により、国力の国際変動が起きる。未来に向けた国家戦略を持ち、狡猾に振る舞い、米国を凌駕するまでに国力を伸ばしたのが中国であり、その反対に1980年までは世界の優等生といわれた日本が凋落した。平成は失われた30年とも言われている。その後がどうなるのか、陰鬱なシナリオも描ける。一般人としても無知無関心で良いのかと思う。

バブルとその崩壊

1979年にエズラ・ヴォーゲルにより『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が著わされるなど、日本の高度経済成長は世界の注目の的となった。これはdominant trend(主要な動向)であった、しかし、新しい潮流が既に始まっていた。emergency trend(今は微かであるが、将来主要になる動向)である。未来を読み解くためにはこのemergency trendを敏感に察知しなければならない。
1980年代の日本は、米国に対しての一方的な貿易黒字を続けていたので、ジャパンバッシングに遭遇することとなった。米国の反撃が始まる。1985年に先進5か国によるプラザ合意が成立し、円は一気に対ドル230円から150円、一年半で120円台まで急落した。日本では貿易収支が大幅に悪化し、日銀は大幅な金融緩和を実施、過剰供給された資産は、不動産や金融等の投機に回った。これがバブル景気であった。バブルは必ず崩壊し、歴史的に繰り返えされる。不動産や株式の価値は、将来もたらされる連続した収益の流れを一定の割引率で割り引いて総計した、現在価値によって決まる。価格が現在価値を大幅に上回ると必ずバブルははじける。バブル崩壊はバブルがあればやがて始まる。現在のアベノミクスはバブルそのものであり、大変リスキーだ。プラザ合意は一方的な対米貿易黒字を是正しない日本に対する米国の鉄拳制裁であった。現在も日本は一方的な対米貿易黒字で、何時トランプの鉄拳が飛んできて、株式の暴落の切っ掛けが始まるか分からない。現に、トランプは中国に貿易戦争を仕掛けている。次は日本だ。)
日本政府はバブルが狂騒するまで放置したが、一転して、今度は総量規制など、過度の引き締め策をタイムラグを考慮せずに矢継ぎ早に講じたため、オーバーキルの状態となり、不動産価値下落の連鎖が始まった。これがバブルの崩壊であったが、オーバーキルが判明しても、早急かつ効果的な対策を講じないで時間が経過し、日本経済が深刻な事態に突入していくことになった。明らかな経済政策の失敗である。
政府も経済を立て直そうとして、旧態依然の公共事業を中心とした財政投資をしたが、効果は限定的であった。政治と癒着の多い建設・土木業者が潤うだけであったと言っても過言ではあるまい。

7. 国家戦略の無い日本

好調の1980年代の内に日本はやらなければいけない課題があった。しかし、なされないままであった。それが戦後経済成長の次のステップの飛躍に乗り遅れる原因となった。

  • その一つは、対米貿易黒字に対する対応であった。輸出依存型経済から国内需要重視型(内需型)の経済政策への切り替えである。国民を豊かにし、購買力を高める。同時に米国からの輸入促進である。そうすれば、輸入も増え、米国に反撃されることもなかった。しかし、従来より大企業の経営改善とは賃金カット、経費削減のみであり、政府もそれを後押しした。企業が潤っても、それに伴って庶民の購買力が増えたわけでは無い。これも、現在も変わらない政治経済の姿だ。
  • 次に、行うべきだったことは、バブル期において、本来ならば、余剰資金は投機でなく、進行しつつあるグローバリゼーションや第4次産業革命、最先端技術等又は再生可能エネルギー等の成長戦略に投資し、来るべき時代に備えなくてはならなかった。例えば韓国では英語教育の充実(1990年代に都市部では小学校一年生から導入)、ハブ港にするための港湾設備拡充、仁川にハブ空港の建設、ITへの先行投資等を行った。その他中国等においても同様であった。また、北欧のエストニアではソ連崩壊後ただちにIT化を国策として進めている。人口130万人であるが、今はIT先進国だ。北欧は押しなべてIT先進国となった。また、早くから、再生可能エネルギーに投資した国はエネルギーコスト低減を達成している。日本では全くこの様な国家戦略が無かった。原発行政にしても、ずるずる既存の政策に引きずられて、失敗を繰り返すのみである。今でも変わらない。東芝の原発による蹉跌もこの様な日本政府の方針が原因している。
  • 更に、進行しつつある技術革新、新市場に対応すべく、時代に合わなくなった法制度・規則等の見直しを行い、改革を促進しなければならなかった。スタートアップ企業育成のプログラム、投資の選択と集中等をメリハリをもって行うべきであった。
  • 教育改革も「未来に役立つ人材育成」の観点から抜本的に断行すべきであった。そもそも10年に一度という「学習指導要領」の改訂では、急激に変化する世界に対応できない。政府からの予算の支援も少なく、例えば「ゆとり教育」の様に、準備不足の現場が「学習指導要領」の意図を十分指導に生かせない失敗もあった。文科省の職員にも優秀な人材がいると思うが、政府側からの予算等の支援が薄い。2020年の「学習指導要領」の改訂も、現場の教師たちに過大なしわ寄せを強いており、スムースに実施されるか予断を許さない。例えば、英語教育にしても、韓国、中国等に遅れること30年、小3から導入されるが、肝心のネイティブスピーカー教員の確保はどのようになっているのか。英語は「音声言語」であり、ネイティブスピーカー教員による指導が必須であるが、予算と対策はどのようになっているのか。カタカナ英語の日本人教師のみで英語指導は笑止千万。実際政権は森友、加計等にご執着で、本来の教育改革とは真逆である。

8. 時系列的整理と日本固有の成長阻害ファクター

  1. 激動のときは有能なリーダーを必要とする。明治維新のときは、国家の危機を背景に必死で世界に学ぶ青年たちが人材となり日本をリードした。彼らは西欧に留学・遊学し、世界を知り何を成すべきかわきまえていた。指導者は下級武士の出身が多い。例えば、福澤諭吉も下級武士の次男で、正規の教育システム、いわゆる藩校で学ばなかったのが幸いしたといわれている。
     
  2. 明治の体制が出来上がると、教育制度が整い全体の教育レベルが向上したが、欧米に追いつくための「知識偏重」(詰込み/暗記)の教育であり、エリート教育に不可欠な「問題解決能力」や「未来を予測し、シナリオライティングする能力」、「世界を俯瞰する視野」、「総合的な価値観」などを育む機能が弱かった。また、学校の成績や採用テストの結果で将来が生涯約束されると言う硬直化した慣習が確立した。同時に『教育勅語』による思想教育が国民に押し付けられ、思考の硬直性の原因ともなり、エリート教育が劣化した。これらの人材は、暗記型の秀才で、経験値も低く、自ら判断する柔軟性にかけており、上からの指示、すでに決まっていることの順守、が主であり、状況変化に対応する問題解決力に乏しかった。ノモンハン事件でも、ソ連の将校の分析では、「日本の高級将校は驚くほど無能であるが下士官は勇猛だ」と証言している。(『失敗の本質』より)
     
  3. 昭和の初期には、特権階級が定着し、財閥、軍、官、政治の癒着が昂じた。子のことによる社会矛盾が顕著になり、国家は腐敗し、庶民特に農民は困窮した。226事件もそのような文脈で起きた。結局、劣化したエリート群に誤導された日本は、自ら導いた戦争により敗戦を迎えた。
     
  4. 敗戦により、米国主導にて旧い日本の体制が一掃され、焼け野原からの再スタートとなった。特権階級は解体され、国防費も低く、日本は奇跡の復活を遂げた。松下幸之助や本田宗一郎の様な新プレイヤーの多くは、丁稚から身を起こした。
    政府も池田勇人の「所得倍増」、田中角栄の「列島改造」などその時代に合った政策を取った。そのときに合致したビジョンがあった。法制度や規制なども、その時代の要請に合わせ整備された。
     
  5. 経済政策の失敗により、日本はバブル(1980年代後半)とその崩壊(1991年から)を迎える。日本が絶頂期を迎えた1980年代の始めより、世界に重大な変革が始まろうとしていた。それが冒頭で触れた『第三の波』いわゆる、第四次産業革命である。「グローバリゼーション」+「IT革命」として表れ、サプライチェーンが成立し、世界が構造的変化を起こすこととなった。また、教育もそれに合わせて改革すべきであった。教育は一朝一夕では成立はせず、数十年先の世界に生き抜く力を授けるもの。
     
  6. バブルの頃問題になったのは、官・官接待に代表される官僚の堕落や、政治の既得権益者の厚遇等であり、社会の変化に合わせて規則や産業の構造、政策路線を変えて行こうとする動きは薄かった。現在の社会状況と同じである。しかし、この様な状況の中で,1987年に国家財政を蝕む国鉄が民営化されたことは特筆に値する。民営化により活性化を図る手法は一つの方程式であった。
     
    しかし、1980年代になって、多くの制度や規則、法律、政策が、時代の流れに合わなくなってきているのに、現状固守のぬるま湯から抜け出すことができなかった。来るべき新時代、「グローバリゼーション」+「IT革命」に対する備えがなされなかった。
     
  7. アベノミクスの第一の矢、第二の矢は基本的にはバブルのときの経済政策と同じだ。基本的には、バブルの再来である。しかし、いつバブルが崩壊するかわからない。現在の経済政策は劇薬であり、再びバブルの崩壊をもたらす危険性が益々高くなっている。
     
    頼みは第三の矢、成長戦略であるが、それを成功させるためには確たる未来の展望と国家戦略がなくてはならない。20年先、50年先どのような社会状況になっているか、その中でどの様な国家を作るべきかシナリオリティングする必要がある。日本人はこの機能とリスク分析が伝統的に弱い。それも教育のなせる技である。
     
  8. 日本のエリートは東大法学部出身者によって占められてきた。法律家は法の番人である。従って、既存の秩序を擁護する傾向がある。社会が大きく変容するときも、現状の保守、既得権者の擁護に回りやすい。社会の実態が変わっているのに、未来を志向せず、時代遅れの現状を維持する。法学部出身の役人は、一旦路線が決まると、その路線の整合性を守ろうと必死になり、柔軟性を欠いてくる。原発にこだわる役人もその事例であろう。

    政治も既得権者との結びつきが強く、イノベーションによりもたらされた消費者や供給者のメリットに鈍感である。
     

  9. 新しい潮流を、「まず試してみて、不具合があったら修正しよう」という立場を取らず、「安全」という大義名分のもとに、新しいシステムやプレーヤーの参入を妨げる風潮がある。また、新しい社会の潮流の可能性に気がついていない場合が多い。
     
  10. おおよそ人間の活動により社会は営まれているので、ほとんどの社会現象は子育て・教育に問題に起因する。しかし、教育改革が停滞しており、時代を先取りしたグローバル人材育成が遅れている。したがって、世界の潮流を読み、社会を変革するグローバルリーダーが少ない。現在の変革者は、アメリカ大学院留学者が多く、ソフトバンクの孫氏や楽天の三木谷氏はその事例である。
     
  11. また、経済の周回遅れ(AT等)に気がついて企業の方向転換使用としても、若い人材が育っておらず、転換と成長のネックとなっている。
     
  12. 政治・官僚と業界・大企業、既存組織(農協等)の結びつきが強く、既得権益者の利益保護を守る傾向がある。
     
  13. 安倍政権及び自民党議員の大半が所属する「日本会議」の目的が、日本を戦前・戦中に回帰させることであり、これは時代変革の方向性とは真逆である。森友の「教育勅語」はこれから望ましい人材教育とは真逆であるし、経済特区を活用した加計学園も、安倍首相の盟友優遇以外何物でもない。過去に向かって進もうとする政権に、未来に向けた成長戦略が成功する理がない。
     
    政権は長期に亘って、大企業や富裕層、癒着企業向けの経済政策を行ってきた。また、度重なる経済政策の失敗により、長期の停滞をもたらした。未来志向のなさで技術革新・新市場の到来のチャンスに有効な成長戦略が取れないままでいる。その間、貧困家庭は増え、中間層も減り、貧富の格差が拡大した。庶民の所得を増やすことが政策の急務となるはずだ。庶民が豊かになれば、将来の社会保障の問題も半減する。しかし政権はそれと真逆の政策を継続している。シェリングエコノミーに対する対応はその事例であると思う。

2018年9月1日
安藤 徳彰

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