健康法師からの便り

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ 第8章「現代へのメッセージ」

投稿日:2019年2月22日 更新日:

二・二六事件が歴史に中に風化しようとしている中、多くの犠牲を払って到達した国民主権、人権、平和主義という価値が進展するのでなく、「自虐的歴史観」を是正するとの観点から、歴史改竄(修正)主義が横溢し、狭隘で浅薄な愛国心により、戦前・戦中回帰が急速に進んでいることだ。世界がグローバリゼーションとIT革命により急速に進化しているときに、日本だけ長期間停滞し、後ろに進もうとしている。

今後凋落していく日本や、困窮する高齢者を心配する中、昭和初期のときの社会状況と青年将校達の社会を救いたいという苦悩を思うとき、二・二六事件が私たち残したメッセージは何であろうかと考える。

時代の変遷と国家体制の変化

国の体制は時代の変化によって変わっていく。武士が実力を持てば貴族に変わって武士の政権ができるし、幕末の頃はイギリスに代表される覇権国家の世界戦略に対抗するために日本は封建社会から中央集権国家の必要性へと向かった。明治維新になり、租税は中央政府が受領することとなり、国家として資金を集約して投資ができるようになった。

しかし、イギリスなどでも産業革命等により労働者階級の出現、中産階級の伸長により、彼らの権利を政治に反映させる必要が出来、数次にわたる改正を経て、議会制民主主義が確立し、王政は象徴的な存在になった。日本は信仰の対象とし、天皇と側近、政府の権限を強固なものにしたためにその後の民主化の動きは抑えられた。

日本の新国体

日本でも、明治維新の当初は、市民が実質的な力を持った国家体制を樹立することが可能であった(福澤諭吉、大隈重信等が主張)。しかしながら、岩倉具視等の宮中派と長州閥が結託して、世界に類を見ない天皇を現人神とする中央集権国家をデザインした。しかし、実態は天皇を操作・利用して特定のグループが日本支配の実権を握ることであった。天皇に権力が集中しても、天皇を補佐する者の印鑑が無ければ、勅令は効力を持たなかった。主要人事などは内大臣が決めていた(二・二六事件のときは木戸幸一内大臣秘書官長)。「君臨すれども統治せず」の実態であったが、国民から選ばれた者が内閣を形成するのではなく、天皇が任命した。天皇と内閣の力は強く、議会の実質的権力は低かった。

人材の劣化

二・二六事件のときの寺内陸相は寺内正毅の息子で木戸幸一内大臣も木戸孝允の甥で双方とも長州の出身であり、戦争推進派であった。統制派は宮中派と結託して戦線拡大に反対の立場をとる皇道派の真崎甚三郎を無理やり投獄した。真崎投獄中に待ってましたとばかり支那事変は起きたのである。

維新の元老達が健在で、天皇を支えて国体は当初機能していたが、昭和になると元勲の二世達の人材劣化が進んだ。また、天皇も「籠の鳥」状態であり、情報の偏りがあった。

社会矛盾の増大

昭和になると、明治の気概が失われ国民の精神的堕落が生じ、個々の利益を追い求め、また、特権階級や財閥、軍閥、官僚が跋扈し、政党も財閥のご機嫌取りに終始した。外交においても日本は世界で孤立する方向性を選択し、有効な世界戦略が存在しなかった。この状況に加えて、世界恐慌や自然災害が加わり国民は困窮した。

二・二六事件は国民の困窮に突き上げられた青年将校達の「百姓一揆」でもあった。軍は兵隊で構成されるが、隊付き青年将校達は兵を通して国民の窮状を実感し、国民の窮乏が引いては軍の弱体化にも繋がることを懸念し、追い詰められて暴発的に蹶起したのであった。悲劇であったのは、この「百姓一揆」に天皇側は一切応えることはせず、討伐一筋で応じたことだ。国家内に起きている社会矛盾から目をそむけたのだ。仁は天子の最も大切な素養ではないのか。だから歴代の天皇の名前に仁は多く使われている。

事件が事前にもれ、事件当日の朝6時には木戸幸一内大臣は数名を集め会議を行い、「徹底討伐、反乱軍に都合の良い内閣は決して作らせない」ことで方針を決め、宮内大臣を通して天皇に上奏させた。天皇も私憤を持ってこれに応じた。国家の運命を決めるターニングポイントの意思決定を一部の者が、いとも簡単に決めるのは如何なものであろうか。陸軍上層部が動き始めたときにはすでに勝負はついていたのだ。軍の中には、蹶起部隊に共感する人たちが多く存在し、蹶起部隊の真意を受け止めた対応をしようと迷走した。

いや、事件そのものが、戦争推進者達(統制派)の策略によって誘導されたのである。三月事件、十月事件等は統制派が事件を起こして戒厳令を布かせて、軍事政権を樹立しようとする企みであった。ところが、幕僚達は兵を持っていないので上手く行かない、青年将校仲間に引き入れようとしたが意見が合わず、今度は青年将校に事件を起こさせ、それによって皇道派を一掃して自分達に都合の良い体制を作ろうとした。予め対策のシナリオを作成していた。事件後、幕僚と宮中派と新官僚(いわゆる統制派)は三位一体となって皇道派を排除し、世界戦略のない戦線拡大に向かって突き進んだ。

『失敗の本質』は戦争における失敗だけでなく国家運営、国家戦略策定においても起きている。例えば陸大を成績優秀で卒業した人材は日本型の暗記秀才であり、状況変化に対する対応力、新規問題に対する問題解決力、相手の反応を予測する力、多角的にものを見る力、論理的に分析・組み立てる力等を育むトレーニングを受けていなかった。知識量があることが人材とされていた。また、日本型人材は内向きで、反面内側に対する策略は緻密である(ゴーン追放等)。

当時軍人は軍事教諭しか読まない状況で、幅広い教養に裏打ちされた物の見方ができなかった。このため、統制派の首領真崎甚三郎は教育総監であったとき、士官学校の教育カリキュラムを改正し、文系要素を入れて、教育のバランスを取ろうとした。

日本の人材教育で弱いのは、グローバルリーダー教育である。グローバルレベルで戦略を考えられる人材だ。その中で大切なことが、グローバルな視点に立ち、未来を予測し、戦略が立てられる能力である。(例えば、ソフトバンクの孫正義である。朝鮮人村で差別と貧困の中で育った彼は、アメリカに渡り、一枚のICチップの写真を見て、来るべき未来を思い描いた。アップルの創始者ジョッブスもマイクロソフトのビル・ゲイツと同時期である。)日本の人材は与えられた方針の下で努力をすることは得意である、しかし、一度決まった方針に関しては、状況が変わっても自分の考えを変えることが苦手で、既に決まっている方針の整合性を保とうとする。(例えば、ニューヨークのナインイレブンの爆破依頼、原発の危険性を察知したイギリス政府は原発関連施設を東芝に売却する。それから東芝は泥沼にどんどんはまり込む。日本政府・役人は未だに原発に固執して、深みに嵌るのみである。)

人材を活かせなかった日本の悲劇

 昭和初期に人材が劣化したと総評したが、人材は存在した。ただし活用することができなかった。近衛文麿元首相は戦争回避のために努力するも統制派に押し切られた尾崎秀美事件により首相を辞任するときに、欧米との関係を重視する東久邇内閣を希望するが、木戸内大臣に拒絶され、木戸は異例の東条英樹を無理やり首相にして軍事内閣を発足させ、日本はアメリカとの戦争に突入した。以降近衛は皇道派を復権させて、戦争の早期終結を図るも、ことごとく木戸内大臣に反対される。昭和二十年二月には戦争終結に向けての近衛上奏文を天皇に捧呈するが、木戸は関係者を特高に逮捕させている。吉田茂も逮捕された一人だ。近衛は稀に見る教養人であり逸材であった。真崎甚三郎は統制派の頭領ともいえる将軍で、戦線拡大に大反対した。事実真崎達の懸念通りに日本軍の敗退が進み、皇道派の懸念どりに、最後にソ連が弱った日本に襲い掛かった。真崎や小畑等皇道派は戦争によらない外交手段による問題解決を構想していた。統制派は陰謀により真崎を追い落として投獄した。この皇道派を活かせなかったのは、日本の失敗であった。

 秩父宮はまさに英傑で、若いころから高い見識・能力を持っていた。日本を改革しようとする意欲が旺盛であったが、天皇側からは警戒され、実現できなかった。陸大入学のときのレポートでも、「資源を持たない国が国際的に孤立することは日本を破滅に導く」と述べている。

 日本が滅びゆく過程をこの三人はどのような気持ちで見つめていたのだろうか。近衛は責任を痛感し自死し、秩父宮は太平洋戦争前から御殿場で療養生活を余儀なくされ戦後病死した。一方、戦後真崎甚三郎の下を訪れる人は異口同音に「閣下の仰ってた通りでしたな」と言っていた。一方、木戸幸一は極東軍事裁判では平和主義者を演じ、木戸と昭和天皇は戦後87歳で天寿を全うした。

犠牲を払って到達した平和主義、国民主権、基本的人権

 敗戦という外圧によって平和主義、国民主権、基本的人権を理想価値する日本国憲法が制定された。農地解放、財閥解体、軍閥解体などは二・二六事件の青年将校達が希求したものであったが、敗戦という多くの命の犠牲によって到達した。すべてがフラットになり、軍事費も少なかったお陰もあり、日本は再び奇跡の復興を遂げた。世界に先駆けた新しい理想を発展させ、実現させることこそが、我々の責務であった。

 しかし、戦前を払拭出来なかった日本に、悪夢が再び襲う。

戦中・戦前と現在の類似点

 戦前、平成の日本には有効な国家戦略が無い。戦前の海外侵略による覇権国家構想は、国際的な孤立を招き、日本が破綻することは自明であった。その自明を見抜けないのは、人材が劣化していたからである。事実その通りの結果となった。今、自民党員の大多数が所属している「日本会議」は天皇をアイデンティティーの核として、戦後を全否定して、戦前に回帰しようと訴える。大東亜戦争を肯定し憲法の改正を求めている。政権の最大関心事は「憲法改正」であるが、激しく進化する世界で、日本だけが戦前に回帰しても、世界に益々遅れを取ることは明白である。平成30年の停滞は偶然でない。有効な国家の未来の設計図がないのである。それでは、世界をリードする技術大国にはなれない。リーディングインダストリーを自国で育てることができず、全てに周回遅れになっている。過去に回帰志向する国が、未来を先取りする国に勝てるはずはない。これはやはり自明の理である。現在の戦前回帰派は戦前の統制派の様に見えてくるのだ。

 政府は国民をないがしろにして、政治家は党利党略におぼれ、政権は富裕層、大企業優遇の政策をすすめ、庶民から税金を搾り取る。最近では、政府による、マスコミ支配、検察支配、官僚支配等が進み、法の恣意的な適用が進んでいる。精神的な堕落と腐敗が蔓延している。これもまた戦前と状況が酷似している。成長の根幹は教育であるが、安倍政権の所業と言えば、森友問題であり、国家戦略特区の加計学園だけである。「教育勅語」で洗脳して国が成長するのか、加計学園の「ペット医療」で、日本の未来が築けるのか。首相個人の偏った主義やお友達優先で税金の使い道を歪めていいのか。

世界の躍進

グローバリゼーションや技術躍進は、経済発展のバネである。各国は新しい波に乗るべく、国の資源を新しい技術に集中して投資し、人材育成をしてきた。

 平成元年である1989年は日本にとっての新しいスタートであったが、世界でも大きな変化が現れたときである。1991年のベルリンの壁崩壊はその象徴であった。トフラー『第三の波』で情報化社会の出現を予測した。グローバリゼーションと情報化及び技術革新により人類が新しい次元へと向かうこととなった。

 中国では、中央集権と市場経済を組み合わせたハイブリッド国の形を創成した。資源集中という中央集権のメリットと活気・生命力という市場経済のメリットを組み合わせたものだ。また、汚職撲滅などの、体制のゴミ掃除も行っている。それが大躍進となって表れている。もっとも、中央集権のディメリットである人権に関してはウイグル族に対し100万単位で強制的に「再教育施設」に送っている。

話を教育に限って見よう。中国・韓国では1990年頃より「これからはグローバリゼーションの時代である」として小学校低学年からの英語教育を進めてきた。都市部は小学校1年から始めた。韓国では今、IQよりITといわれている。日本では、2020年から小学校で英語が本格導入され、小学校5年生から教科となり週2回行われる。しかし、日本は中国・韓国と比べ30年の遅れがある。中国や韓国の若い人は英語が出来る人が多い。もちろんインドやシンガポールの若者も英語が得意だ。中国、韓国、日本の若者を知る中国系アメリカ人のエリートは、日本の若者が英語が出来ないのに驚く、同時に、日本の若者は自分の考えがなく、「つまらない」ともいう。この類の話はよく聞く。名門学習院初等科の校長は「小学校で英語教育は必要ありません」と明言する。それでいて大学ではグローバリゼーションを謳っている(国際社会学部の新設 2016年より)。日本人がいつまでたっても英語を取得できないのは高学年になってから学ぶからだ。ピアノだって高学年から始めれば上手くならないであろう。

二度敗れる日本

平成は日本にとっては停滞の30年であるが、中国は一帯一路、中国製造2025等の戦略に基づき、明治維新の気概で取り組んでいる。人材投資を行い、成長分野に集中投資を行い、企業家精神あふれる若者達が新規企業を次々に立ち上げている。やがて米国を追い抜く勢いだ。4年後には韓国の平均賃金は日本と並ぶと言われている。世界が成長する中、今、日本の一人負けである。国民はこの不都合な事実に気がついていない。

30年前、世界の企業の株価時価総額では日本企業が8社トップテンを占めていた。今はトヨタが37位のみである。上位は何れも物造りの会社ではない。時代は変化する。トフラーが『第三の波』で予告した通りになっている。

日本人は「ゆで蛙」状態で、ぬるま湯につかっているが、やがて煮詰まってくることに気がつかない。今現状から飛びださなくては、死に至る状況になる。財政出動、異次元金融緩和は経済のカンフル剤であり、一次的な対処療法であるが、その間に体質改善、構造改革が必要なのだ。財政出動のため国と地方の借金はこの6年でGNPの伸びの3倍膨れ上がった。国民の税負担から国民生活に必要な支出を引いた基本的財政収支(プライマリーバランス)は黒字化の目途は立っていない(このままだと2025年でも年間7兆円程度の赤字)。国の借金は1100兆円に膨らんでいる。異次元緩和で日銀が抱えた国債や有価証券の暴落リスクもある。日銀の抱えている国債は500兆円だ。

その状況の中で、軍事費だけは一直線で増えている。2019年度予算の防衛費は5.26兆円で5年連続最高を更新。そのため福祉予算が削られるのであろうか。

政権は既存の業者の存続・保護・優遇だけを考える。例えば、世界で急成長するシェアリングエコノミー、これは、情報革命の成果を活用して、効率的に経済活動するものだ。例えば、ウーバー型のシェアカー。海外旅行すると、家庭の主婦が自分の車で目的地まで送ってくれたりする。これは旅行会社が手配する。先日ハワイのカウアイ島に行って、ゴルフに行くためホテルでタクシーを頼んだら「ウーバー呼んだらどうですか」とアドバイスされた。安上がりだと。それが多くの海外での普通である。中国では配車サービス会社が次々と誕生し、新しいビジネスを広げようとしている。ソフトバンクは大手滴滴と組み、トヨタも参加する企業連合を立ち上げた。ソフトバンクの孫正義会長は「日本は未来の進化を自分で止めているという危機的な状況だ。そんなバカな国があることが信じられない。」と述べている。シェアリングエコノミーでは利用者に経済的メリットがあるだけでなく、そのノウハウをベースに新しいビジネスが次々生まれるのだ。日本の規制は既存のタクシー業界を守るためである。別の例として、民泊を見てみよう。昨年民泊法が実施された。民泊大手のAirbnbには6万を超える宿の登録があった。2016年ではその日本における経済効果は9200億であった。しかし民泊法では、ホスト(宿提供者)にホテルや旅館と同様な消防法の設備を要求し、しかも年間の営業日数は180日以下とした。いわゆる民泊撃退法であった。そのためAirbnbのホストは10%以下に激減し、生き残ったホストは、旅館・ホテル業者が多かった。既存のホストは殆どが健全なホストであって問題なく運営していた。ネットの発達した環境では、ホストもゲストもお互いの情報、いままでの評判即時に情報を見ることができる。また、ネットですぐに連絡を取り合うことができる。安心なのである。また、通常のホテルなどを利用する層とは異なっている。より低予算で、長く滞在し、体験型の滞在を好む。宿代は国民の家計に直接吸収され、ゲストは宿の近隣にお金を使う。余っている部屋、手間を使うので追加コストはなく、家計収入が直接増加するし、国際理解にもなる。ホテルに泊まるのであれば、コスト高になり、訪問客は減少するだろう。また、受け入れるホテルなども、設備増加、従業員の雇用をしなくてはならない。やはりここでも「安全」を大義名分にして、既存のホテルや旅館業界を守るのである。

技術革新の最中、世界の経済は活気を帯び成長している。日本はわずかながらの成長で満足しているが、世界の変革からは劣後している。国民は目の前の経済の細やかな盛況に惑わされている。この6年間で約60兆のGDPが増えたと政府は豪語するも、国と地方の借金はこの間175兆も拡大した。そんな政権ならバカでもできる。経済の土台が湿っているので、財政、金融だけでは発火しないのだ。イノベーションが少ない。経済に生命力がないのだ。国は既存の産業、企業を守ることに勢力を注ぎ、そのための規制も多い。又は、原発の様に、一度策定した政策を変えることができない。これらは、日本人の特徴でもある。

企業価値が10億ドル超の未上場企業を「ユニコーン」というが、世界に276社あり、うち中国が78社でインドが14社だが、日本は1社に過ぎない。日本では若い企業家が少ない。一方、東大出の人が知識量で活躍するクイズ番組とか、子どものIQに狂奔する母親とか、日本の人材観は変わっていない。

最大の問題は国民が現状に満足していることである。18歳から29歳の若者の80%以上が現状に満足している。表層の下で、日本がどのくらい危うくなっているのか気が付かない。正に物言わぬ羊である。

日本再生の道はある。まず教育改革である。しかし、日本はオリンピックのメダリスト育成には多額の資金を使うが、100人の孫正義を育てるためには何もしない。一機110億するF35を今後100機購入するのかもしれないが、99機にしてその一機分の110億を人材育成に使えないのだろうか。1000人が海外留学できる。国を守るのは軍備でなく人材であり、経済なのだ。過去に軍備を拡張して敗戦した国は数多ある。平和主義と経済力によって、国を富ませ、国の安全を確保すべきである。今は国を変えるのに軍隊はいらない。一人一人が賢い選択をして、選挙で一票という武器を使えば良いのである。その意味では良き時代になった。

二・二六事件を通して戦前の日本のリアリティーを知り、戦前と同じ失敗を繰り返さないことを肝に銘じなくてはならない。さもないと、日本は二度敗戦し、今度こそアジアの小国に凋落するであろう。

安藤輝三大尉
甥 安藤 徳彰


 

 

二・二六事件に遺された現代へのメッセージ

~ 目次 ~

「はじめに」

第1章「青年将校 安藤輝三大尉と岐阜」

第2章「歪められる近現代史」

第3章「昭和前期における国民の窮状と権力者の腐敗」

第4章「日本社会改革の5つの選択」

第5章「統制派の陰謀と戦線拡大・敗戦」

第6章「明治日本で成立した国家体制とその欠陥」

第7章「秩父宮と安藤輝三大尉」

第8章「現代へのメッセージ」

「おわりに」

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